だが美鶴は、脳裏に浮かんだ淡い希望を慌てて打ち消す。
下手に味方を増やそうとして、でもそういう行為が霞流さんに知れたら、逆効果になってしまうかもしれない。一人では俺も堕とせないのか? なんて馬鹿にされそう。
美鶴は、霞流慎二に突きつけた挑戦状については、誰にも話していない。ツバサにも、智論にも。
正直、どう動けばいいのか、まったくわからないでいる。
店の前で待ち伏せなんてしてたって相手にもされないだろうし。携帯使ったって無視されるだけだろうし。
どうすればいいのかまったく見当もつかなかったところに、幸田の申し出が舞い込んできた。
霞流さんとクリスマスが過ごせる。
素直に嬉しいと思った。
きっと霞流さんは嫌な顔するだろうな。今となっては、もうあんな紳士的な態度で接してくれるとは思えないし。きっと辛辣な言葉であれこれ言われるんだろうな。
それでも霞流と過ごせると思うだけで嬉しかった。
だがその楽しみは、数日前に崩れ去った。
母の詩織からイブの夜は店で常連客とパーティを開くから行けないと言われ、それを伝えるために霞流邸へ電話をしたら、お返しのように言われた。
「こちらも、慎二様は当日は夕方からご用があるとかで、一緒にお過ごしにはなれないとの事なのです」
ひょっとして、私が行くというのを聞いて逃げたのだろうか?
そう懐疑もしたが、ズバリと聞く事はできなかった。肯定されたら、やっぱり嫌だ。
「なんでも、こちらも詩織様と同じで、お親しい方々とのパーティがあるのだとか」
その先を言い澱む幸田。
お親しい方々。
艶めかしく慎二の唇を奪った男性が目の前に浮かぶ。
パーティって、どんな事するんだろう?
想像もしたくない。少なくとも、夏に京都へ誘われたような品の良いパーティとは違うんだろうな。
逢えないという落胆から自分も断ろうかと思ったが、明るく話す幸田の声に、申し訳ないという気持ちも湧く。
「美鶴様だけでもいらしてくださったら、きっと楽しいイブになりますわ。いつもは使用人だけで、とても寂しい夜ですから」
私が行ったところで大して盛り上がりもしないんだろうけどな。なんだか、行くのも断るのも、どちらも気が引ける。
美鶴は一瞬だけ返答を躊躇ったが、結局は行く事にした。
「来客があると屋敷の中が華やかになるって言ってくれるから、断るのも悪いと思って」
「へぇ、意外と根回しが早いんだね」
嫌味のような瑠駆真の言葉。意味がわからず首を傾げる。
「何?」
「まずは使用人を味方につける、か」
「べっ 別にそんなつもりじゃない」
「にしては、ずいぶんと親しいみたいじゃないか。たかが使用人ごときに招待されるなんて」
「そ、それは」
親しくなったと言うよりは、幸田さんの方が親しい付き合いを求めてきたわけで。その理由は私ではなくて、幸田さんの本命はお母さんであって。
説明しようと言葉は頭の中に浮かぶのだが、結局美鶴は断念する。
何もここで幸田さんの恋心をバラす必要はない。きっと幸田さんとしては、別に他人に知られたところで大して気にもしないんだろうけど、なんだか本人のいないところで勝手に話題にするのって、申し訳ないような気がする。
自分だったら嫌だし。
学校で、自分の居ないところで霞流への恋心を噂し合う同級生を思い浮かべると、美鶴はゾッと寒気を感じた。振り払うように背筋を伸ばす。
「別に、ただ偶然親しくなっただけで」
「偶然?」
疑うような四つの瞳。
何? 何よ?
なんとなく腹が立つ。
なんで私がそこまで疑われなきゃならないワケ?
自分は正直に言った。嘘を付こうとも思ったが、なんとなく後ろめたくてできなかった。霞流の家へ行くなどという事情を話せばこのように話が揉めることぐらいわかっていたのに、それでも美鶴は正直に話したのだ。
それなのに、なんで自分はこんな尋問を受けなければならないのだ。
そうだ、これは尋問だ。しかもかなり不当だ。
「別に隠すような事でもないから、聞きたいのなら話しますけどね」
珍しく美鶴の方から話す態度を見せられ、瑠駆真はやや戸惑い、聡は単純に身を乗り出す。
「おうっ 聞かせてもらおうじゃねぇか」
「もともとの原因は、アンタ達なんだからね」
「は? 俺たち?」
「何で?」
キョトンと問われ、美鶴は大きく息を吸って意を決する。だが
「アンタ達があんな、その… ご、強引な事をして、それで私は頭が混乱して」
話し出すと、どうしても思い出してしまう。胸に当てられた聡の歯の硬さとか、瑠駆真の吐息とか。
「だから、その、それに、あの日は平日で本当だったら、ほら、学校へ行ってるはずなのに、でも私はサボっちゃったワケだから、その、どうすればいいのかわからなくって、それで道を歩いていて…」
自分でも何を言っているのかわからなくなってくる。とりあえず思いつく単語を羅列しながら俯き加減で瞳を泳がせる態度に、二人は小さく瞠目した。
「強引って、ひょっとして」
みるみる表情を硬くする聡。それは瑠駆真も同じ。
一瞬にして緊迫してしまった空気を打破するべく、美鶴が声を大きくする。
「と、とにかくっ それで頭が混乱して歩いてるところを、幸田さんが心配して声を掛けてくれたのよ。それで、霞流邸で落ち着かせてくれたワケ」
「そ、そうなの、か」
聡がようやく口にする。
あんな事して、美鶴が混乱するのも当たり前、だよな。
一人納得する。
きっとどうしていいのかわからなかったんだろうな。そんなんで歩いてたら、他人が見たらやっぱり変に見えるよな。って、ん?
「美鶴、お前、なんで外なんか歩いてたんだ?」
「え?」
「だって、お前は瑠駆真に連れて行かれて」
そこで瑠駆真を振り返る。
今、美鶴は、アンタ達って言ったよな? アンタ達が強引な事をって。
スッと視界が狭まる。周囲の景色が暗くなり、唯一視界の中心に存在する瑠駆真の姿だけがやけにハッキリ見える。
「瑠駆真、お前」
「君に責められる筋合いは無い」
遮るように言う。
「それに、僕の彼女に対する想いは、君に劣るとは思っていない」
そう、例え男としての魅力が劣っていたとしても。
まっすぐに見つめ、悪びれもせずに聡の考えを肯定する。聡の怒りが一気に沸騰する。
「お前っ!」
素早い動作で胸倉を掴む。
「お前っ! 美鶴に何をした?」
「順序を守るなら、それを聞くのはこちらからだっ」
瑠駆真も負けじと腕を伸ばす。
「なにしろ、美鶴に先に手を出したのは君なんだからなっ」
「何っ!」
結った後ろ髪を掴む瑠駆真の手を強引に引き離す。
「だったらやっぱりお前が先だ。あの写真、どういう事情なのか説明しろよっ!」
「あれについてはまだ状況がはっきりしていない。説明できる段階じゃない」
あれ以来、小童谷とは一度だけ対面した。
だが、卑猥な笑顔で往なされた。
「理由なんてないさ。ただ俺は、お前を嘲笑と好奇の中心に放り投げたかっただけ」
「そもそも、君には関係ない」
突っぱねるような瑠駆真の言い草に聡は怯む様子もなく、逆に怒りを滾らせる。
「関係ある。あれは立派な抜け駆けだ。あれほどの証拠があるのに説明も無しかよっ!」
「抜け駆けじゃない。成り行きだっ!」
「夜中にどんな成り行きだよっ!」
「やめろっ!」
もう半分取っ組み合い状態の二人に、美鶴の怒声が激しく落ちる。
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